婚約指輪とおじいちゃんの話

国際恋愛
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イタリア人の彼氏からプロポーズされた。
指輪はしない派なので以前からいらないと伝えていたけど、婚約指輪をくれた。

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お店で売っていたのをそのまま購入したのではなく、お祖父様から譲り受けたダイヤモンドで指輪を作ってくれたのだという。

お祖父様は4人の孫たちに同じ大きさ・同じ価値のダイヤモンドを、彼らがまだ10歳前後の時に贈ったらしい。

その時のお祖父様からの手紙には

「いつか愛する人ができたらこれを贈って愛を誓いなさい。私も幼い頃に祖母から譲り受けた宝石で愛を誓ったから。そして、君たちに孫ができたら同じように宝石を渡してあげなさい」

と書かれていた。なんともヨーロッパみ溢れるエピソードだ。

お祖父様はユダヤ人として第二次世界大戦のホロコーストを生き抜いた方だ。

「生き残れた事は本当にラッキーだった。たくさんの人が助けてくれたように、自分も人を助けることで恩返しする」
と、亡くなった弟の子ども達まで我が子ものように育てあげ、金銭的にも機会的にも、多くを人に分け与える愛情深くて思いやりのある人だったという。

手紙の最後には

「人生を全力で楽しめば苦しみや困難だって耐えることができる」とあった。

そんな想いが託されたダイヤモンドなのだ。
一瞬でも「ナンボくらいなんやろ?」と思った自分を恥じた。


私にも祖父が、おじいちゃんがいる。
そりゃおる。

父方のおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっていたので、私にとっておじいちゃんは母方の、愛媛の田舎に住むおじいちゃんだけだ。

私の唯一のおじいちゃんは8年前亡くなった。

それは急な知らせではなくて、何ヶ月も入院していたし覚悟はできていた。
すでに4Lという間取りみたいな喪服もネット購入済だった。4Lて。


大阪で訃報を聞き、愛媛の斎場についたのは深夜近く。お通夜は既に終わっていた。

おじいちゃんに手を合わせ親戚と少しだけ話したけど、やたら明るく振舞っていた気がする。

初めて近しい人を亡くしてどうしていいかわからなかったのもあるし、
棺桶で眠るおじいちゃんの顔はすごく痩せて色白で、まるで知らない人みたいだったから実感が湧かなかったのかもしれない。

他府県に住んでいる他の孫達も全員揃っていた。
何年振りだろう、みんなが集まるのは。

おじいちゃんが生きてるうちにこうやってみんなで集まってたら、きっとすごい喜んだやろなぁ、なんてぼんやり思った。

――――

その夜はおじいちゃんの家に泊まることになったが、眠れなかった。

胸がいっぱいで…とかではなく、仕事がいっぱいで物理的に眠れなかった。
身内の不幸とはいえ、明日の朝〆切の絶対に落とせない仕事があったのだ。働き方改革とはなんだろうか。

仕事が終わったのは朝方5時だった。労働基準法とはなんだろうか。

気づいたら机に突っ伏して寝ていた。

朝8時頃。
お母さんの声で目が冷める。

「準備あるからもう出るけど、ユキ子は1時からのお葬式に間に合うように来ればいいからね。数珠はここ。この番号に電話してタクシー呼びなさいね」

そう言って、テキパキと準備を出て行った。

父親を亡くしたというのに母は強しである。
いや、母親然とすることで、娘心をかき消していたのかもしれない。

家にひとり残された。
それじゃぁお言葉に甘えてちょっと寝よう。

――

「いつ頃つく?」

お母さんからの電話で目が覚める。

時計を見たら12時40分。
お葬式は1時から。
田舎なのでタクシーが来るまで20分。そこから斎場まで15分。

間に合わへんやん。あかんやん。

こんな時に大寝坊だ。

急いでタクシーを呼び、4Lの喪服に袖を通して、黒いストッキングを履いて…



あれぇ?ストッキングが無い。

お母さんが言ってた場所にない。

こんな時、大抵は「おかーさぁーん!」と叫べば、なんでもお母さんが解決してくれる甘やかし気味の家庭で育った私はパニック。

タンスを片っ端から開けていくが、田舎の家ってなんでこんなタンス多いのだろうか。
こんまりメゾットはこの家までは届いてないらしい。

部屋を漁りまくってやっと見つけた。

黒い…

7分丈レギンス。

ゆるゆるの生地に小さな毛玉を纏いしそのレギンスは7分丈。
ふくらはぎの真ん中までしかない7分丈。
7分丈はダサい。

いやダサいのはこの際どうでもいいか。
問題は、素肌が見えすぎていること。

でも他のストッキングを探してる時間はない。
仕方ないので、下から黒を伸ばして素肌を埋めようと散らかった部屋の中から黒色の靴下を探した。

見つけた。

が、絶妙に短い。
7分丈レギンスと合わせると2cmほどの肌色が見える。素肌がチラリ。

ここにチラリズムはいらないのに。

足元に抜け感を演出した喪服スタイルで、私はタクシーに乗り込んだ。

―――

葬儀場に到着すると既に読経が始まっていたので、係の方の後ろを目立たないように着いていく

チリンチリンと音をたてながら。

いや、うるさいな。

音の正体はお母さんが置いてった家の鍵に付けられた鈴だ。

どこぞのお土産か知らんけど、よりによって2個も付いている。
普段はこの音のおかげで鍵が見つけやすいんだろけど、今私は誰にも見つかりたくないのに。

慌ててカバンの中の鈴を握ろうとしたがカバンを落とした上、つこーーんと足で蹴ってしまった。
葬儀場に祭囃子のようなめでたい音が響き渡る。

こっちを見て!と言わんばかりのお祭り騒ぎな音。

何人も振り返る。遅刻が大々的にバレてしまった。
えぇどうも、私が遅刻してきた孫です。


形変えてしまうぞ、の圧でぎゅっと鈴を握りしめ席についた。

ありがたいことにたくさんの方々が参列してくださっていた。おかげさまで私が案内されたのは親族からどえらい遠くの席。もはや他人の距離感だ。

登場の大ミスで心臓がまだバクバクしている。
おじいちゃんに思いを馳せる余裕なんてないままお経は終わり、ご焼香の時間になった。


まずは親族から。
私以外の孫3人も参列者に向かい揃ってお辞儀する。私は他人の距離から見守る。みんな立派だ。

親族の後は順番に列に並んでご焼香。

もうチリンチリンなんて言わせない。鈴をぎゅっと握り締め列に並ぶ。

ん?あれぇ…?

 

数珠がない。
やばいな、数珠忘れちゃった。

鼻に脂汗が滲む。

もうここはエア数珠しかない。


私は手首につけてた黒いヘアゴムを手で持ち、絶妙にチラつかせ、さも小ぶりな数珠を持っているかのように演出した。
ちなみに足元は引き続き抜け感を演出しているし、登場も盛大な演出をした。演出しまくり。もう演出家。


演出していると、私の番がやってきた。

手を合わせながらヘアゴムを大事に両手でつつみ、心の中でおじいちゃんに話しかける。



「こんな孫でごめん」

余計なことばっかする演出家でごめん。

ご焼香が終わり、ご遺族こと私の親の前で他人行儀にお辞儀をすると、涙目のお母さんが「呆れやや怒り泣き顔」という複雑な面持ちでスっと数珠を手渡してくれた。

こんな娘でごめん。



参列者の焼香が終わり、いよいよ出棺だ。

お棺に花を入れるため、お母さんをはじめとする近しい親族らが立ち上がりお棺の周りに移動する。

それを他人の距離から見ていると、親戚のおばちゃんが黒子のようにやってきて
「おじいちゃんの顔見られる最後だから、お母さんたちとお別れしてきなさい」と言ってくれた。
私は急いでおじいちゃんの近くに行った。


花入れの儀。
それは、故人の顔を見てお別れができる最後の時間。


思えば葬儀場に来てから全然おじいちゃんを弔っていない。
演出して謝ってただけ。
やっと気持ちを落ち着かせておじいちゃんとお別れができる。


と思ったんだけど。
えーっと、これって、花は1本でいいのよね?

お作法がわからない。

わからないけど、とりあえず1本にしよう…だいたい1本だろうこういう時は。
あと、どこに置いたらいいのかわかんないけど、他の人も置くこと考えたらここ辺りだと無難よね。ね?


1本、肘あたりの端っこに花を置いた。


焦ったけど大丈夫。もうヘマはしてない。

眠っているおじいちゃんの顔を見る。

そっか。死んじゃったんだよね。
少し実感が湧いてきた。

「おじいちゃん…」
そう言って人目を憚らず号泣…




してた、隣にいるリナが。

リナは同い年の従姉妹なんだけど、
もうね、大号泣。


彼女は次から次へとおじいちゃんの顔まわりにお花を置いていく。
迷いがない。

おじいちゃんの顔まわりがどんどん華やかになる。

てっきり1人1本のルールやと思ってたもんで、「あぁ〜ね…」と思わず声が漏れちゃってる私をよそに、フラワーアレンジメントの方?ってくらいリナは大胆にお花を添えていく。

しかし、お作法ばっか気にしてる私よりよっぽど愛がある行動で、その姿は美しさすらあった。

あと単純にリナは美人でスタイルも良い。
ミス愛媛だったおばあちゃんの血を濃い目に受け継ぎ、柴咲コウばりの目力を持つ綺麗な女性だ。

一方、私は父そっくりの平たい顔族である。しかも4L喪服の。
しかも足元レギンス素肌チラ見せで。
しかも遅刻したのに鈴鳴らしながら登場して、しかもエア数珠で。

この差はなんやろか。

細い肩を震わし、涙を流しながらおじいちゃんの手を握ったリナを見て思った。



負けたわぁーって。

人として、女として、孫として負けすぎてるわーって。

人って身内のお葬式でも嫉妬心が疼くものなのか。

そうこうしてる間に出棺も火葬も終わった。
なんかマジで実感がないまま、従姉妹への嫉妬心と圧倒的敗北感を抱えたまま、お葬式は全部終わった。

ーーーー

翌日、私はおじいちゃん家の納戸を掃除した。

納戸はおじいちゃんとおばあちゃんの寝室のすぐ隣にある。

ホコリっぽい部屋だけど、懐かしい匂いがする。
納戸にはおじいちゃん達が使わなくなった物が押し詰められているので、特に思い入れのあるものが出てくるわけでもない。

淡々と片付けをこなしていると、ある柱に目がいった。

西暦と孫4人の名前が刻まれた傷だらけの柱だ。

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この家に帰ってくるたびに柱の前に立たされて、おじいちゃんが定規とペンで柱に身長を記録してくれた。立てるようになってから高校生まで、ずっとだ。

それは我が家の恒例行事だった。

「去年の夏休みから凄い伸びたなぁ!」って褒められて、こそばいゆいような誇らしいような気持ちになったな。
身長がたいして伸びなくなってもおじいちゃん嬉しそうに測ってたなぁ。

もう字も薄れてどれが誰のだか読めなくなっちゃってるやんか。


いつからか無くなってしまった恒例行事。だけどその跡はひっそり残っていた。

もうおじいちゃんにもう会えないのか…

急に途方もない喪失感にかられる。
嬉しそうに柱に書き込むおじいちゃんの顔はもう二度と見れないんだと思うと、悲しい。すごく悲しい。
目頭が熱くなる。

おじいちゃんの死を実感した。


おじいちゃんは好奇心旺盛で、冗談が好きなお茶目な人だった。

当時にしては珍しく海外旅行へよく行っていたし、80歳を過ぎて初めてガラケーを買った時はメールを送ってきてくれた。毎回変な顔文字がついていた。

体が不自由になって一人で起き上がれなくなり、おむつが必要になってもいつも冗談を言ってみんなを笑わせていた。
シルバー川柳みたいな、哀愁漂う自虐的でなかなかにクオリティの高い冗談をくり出された時は普通にめっちゃ笑った。


あまり怒られた記憶はないけど、一つ、すごく心に残っている記憶がある。

小学生になったばかりの頃、私がトイレ後にスリッパを揃えずそのままにしたら「直しなさい」と呼ばれた。

「これだと次使う人が困るやろ?そやけん、ちゃんと揃えんといけん。人のことを考えんといけんよ」

おじいちゃんが珍しく厳しかったこと、そして”わざわざ呼ばれるほどの事”なんだ、それ以降はすごく気をつけるようになった。

おじいちゃんは周りにすごく気を配り、人に優しい人だった。

冗談好きなところも、人に気を遣う気質も、人に優しくありたいと思う気持ちも、私はおじいちゃんからだいぶ受け継いでいる気がする。
上手にできてるかはわからないけど。



ダイヤモンドのように形に残る物じゃないけど、私も大切なものを受け継いでいたんだなぁと今になったらわかる。自分の真ん中にあるもの。大事にしたいこと。

家族になるって、大切な人が大事にしてきたことを受け継いで、守って、新しく自分達で作ったりもして。それをまた誰かに伝えていくなのかもしれない。

もし子どもができたら柱に身長を記録していきたい。あと孫ができたら私たちもダイヤモンドを贈らないとね。

ということでこの度結婚しました。

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