最近、たまたまXで流れてきた「私の見たイスラエル」というブログを読んだ。
(過去にイスラエル人と仕事をしていて、2週間イスラエルに滞在経験がある日本人が書いたもの)
正直、書かれている「イスラエル人」には全く共感できなかった。
誤解なきように書いておくが、私はブログの批判したい訳ではなく、そもそも私が出会ったイスラエル人はイスラエル国外に住んでいる人が多いので、先のブログに全く共感できなかったのは仕方がない。
そのことについてはご本人も
“私が感じたことは、すべてのイスラエル人には当てはまらないかも知れない。だってそこにはいろんな人がいたから。
いろんな考えや思いを持つ人が日本にもいるように、いろんなイスラエル人が本当にいた。”(引用元:「私の見たイスラエル」架橋伊和夫)
と、書いている。
私もこの1年で出会った「私の見たユダヤ人」について書きたいと思う。
その前に、「イスラエル人」ではなく「ユダヤ人」という表現にした理由を少し丁寧に説明しておきたい。
恥ずかしながら、夫と出会うまではユダヤ教やイスラエルの成り立ちについてほとんど知識がなかったので、あの頃の私が読んでもわかるように簡潔に説明するとユダヤ人とイスラエル人の違いはこんな感じ。(だいぶざっくり)
ユダヤ人=「ユダヤ教を信仰している人々」
国籍/人種関係なく世界中にいる。
イスラエル人=「イスラエルの国籍を持つ人々」
イスラエルはユダヤ人のために建国されたがユダヤ人の人口は約75%で、25%が他民族。
これらを踏まえた上で、このブログで「ユダヤ人」と表現する理由は2つ。
1つは、イスラエル国外に住んでいるユダヤ教徒のイスラエル国籍の有無は私にはわからないから。
そして、2つ目が本人の自己認識。
例えば、私の夫はユダヤ系イタリア人だ。
夫はイスラエル国籍も持っていて、家族もユダヤ教を信仰しているのでイスラエル人とも言えるが、投票権を放棄し兵役も免除されイスラエルには数回しか行ったことがない。
親戚にイスラエル人も多くいるが、本人としては「自分はイタリア人で、信仰している宗教がユダヤ教」という感覚らしい。(ちなみに神の存在は信じていなくて、伝統や文化を重んじるという意味でユダヤ教を信仰しているとのこと)
一方で、ある女性は「イスラエル系アメリカ人」と自己紹介する。絶対に“イスラエル系”と付けるので強い意識があるのだと思う。
国籍の有無や自己認識は私にはわかないので「ユダヤ人」と表現することにした。
話は少し逸れるが、ユダヤ人の中でも特に厳しく戒律を守る「超正統派(ウルトラオーソドックス)」と呼ばれる人たちがいる。
彼らの多くは現代においてもインターネットを使うことを悪とし、男性はユダヤ教の教えを学ことに一生を捧げるので仕事はせず、女性が働いて家計を支える。
“働いてはいけない”安息日は、火もつけないし、エレベーターのボタンすら押せなくなるなど、数多くの厳格なルールがある。
その独自の生活はNetflixドラマ「アンオーソドックス(原題: Unorthodox)」で垣間見ることができる。
実体験に基づき作られたこのドラマは、NYの超正統派コミュニティで暮らす女性が、夫を捨てベルリンに逃げて新しい新生活に踏み出す様子を描いている。
スマホを持たず、女性は人前で歌うことを禁じられ、子ども産んでこそ価値があると教えられる。超正統派の独特の生活と価値観に、これが現代のNYで?と驚く。
題材は宗教だけど、一人の女性が自立するために立ち向かっていくストーリーは心揺さぶられるほど良い。個人的にその年のベストドラマだった。
秀逸な作品だったし(最後がものすごく良くて鳥肌感涙!)4話完結で短いのでぜひ見てほしい。
そんな超正統派もイスラエルでは問題になっているらしい。
彼らは聖書の教えを守って子どもをたくさん産む。しかし先に言った通り女性しか働きに出ないため金銭的には貧しい人が多く、イスラエルでは超正統派の貧困率は4割を超えていて国が補助金を出している。
そしてイスラエルでは原則として男女問わず18歳以上のすべての国民が兵役の義務があるが、今のところ超正統派は徴兵も免除されており国民から反発の声も多い。
さて。
ここまでの説明でも目眩がするほどに難解に感じた人もいるかもしれないが、一言で“ユダヤ人”と括っても本当に多種多様な人がいる。
ここからは、あくまでその一例として「私の見たユダヤ人」について時系列で書いていく。
昨年。ハマス襲撃、それに対しイスラエル政府がガザに攻撃開始
連日グループチャットではユダヤ人の被害をドラマチックな音楽と共にまとめた動画がシェアされた。
それを「気持ちはわかるけど、ドラマチック過ぎて嫌いだ。今一番可哀想なのはガザの市民だ」と言うユダヤ人がいた。
私が住むフィレンツェでは警察が警備する中、ドゥオーモの近くで集会が行われユダヤコミュニティの代表らが平和を願うスピーチを行った。
集会の近くで、ユダヤ人ではないけどイスラエル首相へのメッセージを書いた紙を纏い無言で訴えている人がいた。
「“目には目を、歯には歯を”そのような政策で解決できるのだろうか?報復は賢明な選択肢なのか?」紙にはそう書かれていた。
集会の群衆の中には、スピーチをジェラートを食べながら聞いている人もいた。
夫と同い年のいとこは結婚式を挙げた1ヶ月後に徴兵され戦地に行った。
ガザへのイスラエル軍の攻撃が激化。これにより「反ユダヤ感情」が高まり世界各地で暴行や嫌がらせが急増した頃。
あるユダヤ人は徴兵時に自分のチームが人質を解放した!と嬉々として語り、ハマスを殲滅するにはガザの犠牲も仕方がないと話していた。
それに強く反対し、ガザの住人を巻き込むべきじゃないと反論するユダヤ人がいた。
「◯◯大学でイスラエル行った非人道的な攻撃について授業があるって知ってるか?内容を聞いたけどデマばっかりだった。だから大学に抗議しに行って授業を止めてやろうと思ってる」と怒るユダヤ人がいて、
それは逆効果よ、余計にユダヤ人が過激という印象を与えてしまうわ、と止めるユダヤ人がいた。
パレスチナが攻撃してもニュースにならないが、イスラエルが攻撃するとニュースになることを
「犬が人を噛むのは普通のことだけど、人が犬を噛むとすぐにニュースになる」と例えたユダヤ人がいた。
パレスチナ人を犬と例えた事にその場にいた他のユダヤ人達は強く強く抗議した。
「戦争で経済が止まっているから…」とイスラエルへ農業のボランティアに行ったイタリア在住のユダヤ人がいた。
そしてハマス襲撃から1年が経った現在。
ハマス襲撃の1周忌集会が行われ、ユダヤコミュニティ代表は
「まだ101人の人質がいて彼らのために毎日祈っている。しかしガザに住むパレスチナ人が最も弱い立場にある。パレスチナ人であっても死者が出ていること、それは私たちの心の棘だ」と主張した。
市長やラバイ(聖職者)と並んで若いユダヤ人女性が
「ハマスとガザの住民を分けて考えないといけないし、世界で続くユダヤ人への差別について、ユダヤ人とイスラエル政府を分けて考えないといけない。」と訴えた。
それに声を上げて反対するユダヤ人達がいて、
そんな彼らに静かに話を聞くよう諭すユダヤ人達がいた。
集会にも行かないし、一見無関心そうなユダヤ人もいた。
イタリアでは、ユダヤ人の集会のたびに警察が警察犬と共に爆弾がないか確認し、集会中も外では銃を持った警察が配置されている。
これは情勢が悪化したからではなく、数十年前に集会で爆破テロがあってからずっと続いている事だ。そのことに慣れない私はいつも少し緊張するのだが、当たり前のように警察に挨拶をしてユダヤ人たちは中に入っていく。
以上が、私の見てきたユダヤ人だ。
出来るだけ見た情報をそのまま書いたつもりだけど、バイアスがかかってしまってる気もする。
最後に、一番印象的だった人について私の推察も交えながら書きたい。
今年の春、夫の実家にイスラエルから遠い親戚のユダヤ人学生が泊まりに来た。
1週間の休暇でイタリアに来た彼は、雑談の中で冗談こそ言うものの、その視線には悲哀が混じっていてとても疲れているようだった。
彼はイスラエル兵として2ヶ月間、ガザにいたらしい。
2日間の滞在中、彼は昼寝や散歩したり本を読んだりして一人でゆっくり過ごしていたし、私たちも必要以上に話しかけなかった。
きちんと話したのは一緒にランチを食べた時だけだった。
食事をしながら、私は天気やこの後の旅程など当たり障りない話をして、ガザや戦地の様子については一切触れなかった。触れることができなかった。
夫は彼と少しイスラエルの情勢について話していたが、それをただただ聞いていた。いや、正確には難しい英語がよくわからないから、ただ食べることに集中していた。
すると急に、彼が「一つ質問があるんだけど」と私に話を振ってきた。
「広島出身なんだよね?」
「うん、そうだよ」
「原爆の後、広島はどれくらいで復興できたの?」
海外で広島出身だと言うと、誰もが原爆のことを知っていて、何十人もの人にリアクションに困ったような表情を向けられた。憐れむような、少し気まずそうな、そんな表情。
だから初めて復興について訊かれ驚いた。
「何を持って復興とするかが難しいけど、政府の特別支援で比較的早めに復興したって言われてると思う…。路面電車はかなり早くて、数日で運転再開したよ」
「原爆を落とされたこと、日本人はどう思ってるの?」
難しい質問だった。
いろんな考えの人がいるから何が“日本人としての答え”なのかわからない。自分の考えと、一般的な考えを混ぜて伝えた。
「アメリカは戦争終結のために必要だったって主張してるけど、どうだろう…。でも日本人は、もう2度と同じ悲劇を繰り返してはならない。核兵器反対、と教育しているし、多くの人がそう思ってると思う」
広島出身のくせに曖昧な回答で情けないが、彼はすごく真剣に話を聞いてくれていた。
その姿はガザが復興するのにどれくらいかかるのかを推し測ろうとしているように見えた。
イスラエルでは男女ともに18歳から兵役につく。
若い世代は兵役制度に反対らしい。
しかし一方で「自分達が戦わないと隣国に攻め入られる。家族を殺されないために、守るために仕方がない」という強い危機感があるという。
ガザの惨状を目の当たりにしてきて、彼は戦う理由を自分に問い続けているのかもしれない。
イタリアでの休暇を終え、彼はイスラエル軍へと戻っていった。
――
この1年間で私が見てきたもの。
それは、ほぼ全員のユダヤ人が虐殺も戦争も望んでいないということ。
しかしユダヤ人という主語で括られ、それは時としてイスラエル政府と同一のように語られる。お前達が残虐行為をやっている、と。
最近、「イスラエル=ナチス」と書かれた落書きを見つけて悲しそうな顔をしているユダヤ人を見た。その人は政府のやり方には反対で、ガザの安全を最優先にすべきという考えを持っている。
そんなユダヤ人がいる事を知って欲しくて、
だから今回「私の見たユダヤ人」を書きたくなったのが正直なところだ。
書いたからって何になるんだという無力感もある。
だって、彼らの思いが政府に届いているとも思えないし、ガザでは今日も多くの命が失われ、今のところ戦争に終わりは見えない。私はそれが悲しくて怖い。
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