英語力ゼロで留学したら【夫と出会うまで〜NY編①】

マッチングアプリ_海外編

スウェーデン人が、足でスッと床の髪の毛を掃き寄せている。
金髪の彼女は、集まった黒髪の塊をティッシュで包みながら大きなため息をついた。

それ間違いなく私の抜け毛だ。すまん。

ルームシェアするのは初めてで、こんな基本的な気配りすら欠けていたことへの恥ずかしさと申し訳なさが込み上げる。あと抜け毛すげぇ多いな。


「っあ!ソーリー!ア、アイ…」

私がやるよ!って英語で何て言うん?
モゴモゴしているうちに彼女は掃除を終わらてしまった。

アイムソーリー、テンキュウ!とお礼を言うと、彼女はすかさず綺麗な発音で「It’s okay!」と返してくれた。だけどその表情は全然okayそうじゃない。


気まずい。

2017年、私はニューヨークに留学していた。

当時28歳の私は関西で放送作家をしていて、まぁまぁ仕事があったので一人暮らしには十分なほどお金があった。

そして、このままでいいんだろうか?という焦燥感もあった。


周りの売れている作家は、元芸人や人気芸人の座付き作家、高学歴で博識とか、シンプルに変な人とか。売れている人ほど、無くならない“何か”を持っていた。

私の作家としての武器は「女性であること」と「若さ」。

下心や枕的な意味での武器でなく、女性で若いという“枠”の作家が少ないから需要があったのだ。

でも「若さ」はいずれ無くなる。
そのことに焦っていた。

お笑いについては太刀打ちできないし、学もないし、平凡な人生。

超普通。
普通ということにコンプレックスすらあった。

このままじゃダメだ。
いろんな経験をして“何か”を手に入れたくて留学を決めた。

…と、作家としての苦悩かのように長々と書いたけど、「30歳を前に急に海外に行く」という良く聞く話。アラサーあるあるだ。


期間は半年間。
資金的にオーストラリアでワーホリをするつもりだったが、先輩作家の
「みんなに迷惑かけて時間もお金もかけて行くんやから、作家として一番勉強できる場所に行かなあかんで。足りない分は貸したるから。」
というありがたいお言葉に甘えて、留学先を変更した。


こうして決まった留学プランがこちら。

ニューヨーク5週間、マルタ1ヶ月、ヨーロッパ周遊3ヶ月。


うん、これは旅行。ただの大旅行。

本気で留学してる人からしたら、こんなの留学じゃない!と怒られるかもしれないが、旅行みたいな留学もあったっていいじゃない。

そもそも。たった半年で英語が話せるようになるとは思っていない。
だって私は英語が全く出来ないから。

中1の最初の英語テストで「My name is Yukio(ユキオ)」と自分の名前の綴りを間違えて減点された時、明確に挫折した。
高校時代はいつも30点以下。帰宅部のくせに全国制覇もしたスポーツ推薦のサッカー部よりも点数低かった。

だから英語は嫌いだったし、実際に英語ができなくて困ることもなかった。

そんな奴が急に留学を決めてしまった。


でも、大丈夫。
だって目的は「経験」だから。

英語話せないなら経験もできないじゃないか、と思うかもしれないがそれも大丈夫。
なんなら、ちょっと自信すらある。

だって仕事で培ったコミュ力があるから。

仕事柄たくさんの人に接してきたので、老若男女どんな属性の人でも、初対面である程度は打ち解けられる自信があった。

このコミュ力さえあればなんとかなる気がする。


友達には「ユキ子は大丈夫そう」って言われたし?
SNSでも「英語力ゼロでもなんとかなった!」って発信している留学経験者もいたし?
行ってしまえばどうにかなるっしょ?

そう思っていた。

こうして英語の勉強を一切しないまま、参考書すら持たずにやって来ましたニューヨーク。

語学を取得するのが目的では無いけれど、拠点がないと不安ってことで2週間だけ語学学校に通うことにした。
その間は、学生寮でシェアルームをすることになっている。

学生寮と言っても、マンハッタンのど真ん中にある老舗ホテルの一室。
ホテルの4階が全て学生寮になっていて、一般のお客さんと同様にロビーもランドリーも利用できる。

2人部屋で、ルームメイトは6歳年下のスウェーデン人。

初日こそ笑顔で「前のシェアメイトが日本人ですっごく良い子だったの!日本人大好きよ!」とウェルカムだった彼女だが、4日もすると部屋にいるのが居た堪れないくらい気まずい。

日本人大好き!な彼女、私のことは全く好きじゃないっぽい。


掃除サービスがあると思って床に落ちた抜け毛を放置していたからか?
持参しなきゃいけないのを知らずに、ホテルのタオルだと思って使っていたのが彼女のタオルだったからか?

…どちらもか。ごめんなさいほんと。

でも仲良くなれない一番の原因はわかっている。


会話が成り立たないのだ。

語学学校で一番上のクラスの彼女と、一番下のクラスの私。
英語力は、例えるなら高校生と2歳児くらいの差がある。

高校生が2歳児を子守りすることがあっても、2人が友達になることはありえない。

寮に入ってすぐに彼女がセントラルパークに連れてってくれたが、マジで何も話せなかった。

この時、私の知っている英文は

・I want to 〜(私は〜したい)

・What is your favorite ◯◯ ?  (あなたのお気に入りの◯◯は?)


この2パターンだけ。2本柱。

お気に入りの映画は?と聞いてみたけど答えは聞き取れなかったし、オーイエー、アーハンしか言えない。

彼女からも質問されたけど1つの単語もわからないから
オーイエーアーハン、オーイエーアーハンとずっとBUMP OF CHICKENしていただけだった。


2歳児の方がまだ意思の疎通がとれるレベル。

おいおい。何がコミュ力や。

どうにかなるっしょ!って思ってたけど、
どうにもならん。

英語力ゼロで留学なんて、マジでどうにもならんよ。


スーパーでも泣きそうになった。
レジで店員がなんか不機嫌そうに何言ってたけどわからず、お金を間違えて出してて足りなかったと気づき、急いで財布の中のコインをあさるがテンパってるので計算がすぐにできない。

店員さんにも、待ってるお客さんにも睨まれる始末。

買い物すらまともにできないなんて。

英語が話せるかどうか以前に、自分がいかに“待ち”の姿勢だったかを痛感する。
「困っていたら助けてもらえる」とどこかで思ってしまっていた。


ニューヨークでは黙って小さく困っている人間なんて、誰も気にかけてくれない。

そして私にはヘルプミー!と大きな声で言ってのける度胸も勇気も無いのだ。
ご自慢のコミュ力は、日本語で、日本というホームでこそのものだった。

絶望の3日目。

語学学校からの帰り道、一人の男性に声をかけられた。
最初は道に迷った観光客かと思い、一丁前に「助けなければ!」と思ったのだが、どうやら違う。

「You’re beautiful!」的なことを言っている。


ナンパだ。

紳士的だったし、身なりもきちんとしていて変な人ではなさそうだ。
押されるがまま連絡先を交換し、翌日には早速会うことになった。

道に迷って待ち合わせに遅れてしまった。
「日本人ってきっちり時間を守ると思ってたけど、君は日本人じゃないの?(笑)」と彼は笑いながらジョークを言っていた。

彼が連れて来てくれたのは、地元っぽい人々でいっぱいの地下にあるBAR。
カジュアルでリラックスした雰囲気のいい感じのお店だ。


奥のソファ席に横並びに座り、彼が2つのお酒を注文する。

話せないので翻訳アプリを使おうとしたが、彼は「アプリ使わず話してみよう!練習だと思って!」と提案してくれた。

なぜニューヨークに来たのか、どれくらい滞在するのか、仕事は何をしているのか。

結局、話せなさすぎて翻訳アプリを使いながら2歳児なりに答えると
彼は「Oh! Cool !」と言って楽しそうに聞いてくれた。

私の話はそこそこに、今度は自分の話を始めた。

彼はインド系アメリカ人2世で、投資で生計を立てているという。
この店のすぐ近くのタワーマンションに住んでいるらしい。マンハッタンのタワマンで一人暮らしってすげぇな…。いかにも高価そうなジャケット姿からも、経済的に成功していることが見て取れた。


彼は座り直し、膝が少し当たるくらい2人の距離が近くなった。
なんだか雰囲気が少し艶っぽくなった気がする。

彼が落ち着いたトーンで「あなたの人生で一番大事にしていることは?」と質問してきた。
私の答えを待たずに、「僕はね…」と語り始める。



「なんでもチャレンジしてみることが大事だと思ってるんだ」


確かにその通りだ。チャレンジは大事。だから私もニューヨークにいる。
大きく頷いて、同意だということを伝える。

新しい経験がどれだけ人生を豊かにするか、そんなことを熱弁している。


「で、君は何を大事にしてるの?」

彼の言葉と共に、彼の唾が私の顔に飛び散った。
熱弁中もずっと飛び散っていた。彼の唾が。私の顔に。
座り直したあたりからずっと。
きったねぇ!

そしてうっすら予感していたことが的中した。


「新しいことはなんでもやってみた方がいいよ!だから、今から僕の家に来ない?」


目的はこれか。

顔を拭きながら「初めて会った人の家に行くのは怖いよ」と冗談っぽく伝えて断った。


帰り道、彼の住むタワーマンションの前まで来ると
「本当に来ないの?景色キレイだよ?シャンパンもあるよ?」と粘ってきたが、何もわからないフリをして手を振って立ち去った。

本当はわかった。
英語はわからなくてもわかった。
こういう時の常套句は世界共通らしい。

彼は不満そうにマンションの中に帰っていった。


寮に戻る道すがら、なんだかんだ楽しかったなぁと振り返っていた。

実は昨日、語学学校のクラスメイトの女の子達とクリスマスマーケットに行ったが、ワー!ナイス!アーハン!イエス!を言い合うだけで、全然楽しくなかった。

2歳児同士というのもあるが、「会話できないけど、それでもこの人の事をもっと知りたい!」という熱量がお互いになかったからだ。

かといって、学校以外で出会いなんてない。

この数日でわかった事は、
英語が話せないおとなしいアジア人女と仲良くしてくれる人なんて、普通にしていたら出会えないと言うこと。


だからこそ、今日はすごく楽しかった。
理由は単純で私に興味を持ってくれたから。

お互いを知ろうというモチベーションが明らかにクラスメイトよりも高かった。

それが下心100%だったとしても、オーイエーアーハンな空虚な会話よりずっと楽しかった。

この下心をうまく利用できたら、クラスメイトと観光地巡りする以外のいろんな経験ができるんじゃないか。


それに私にも下心がある。
今日の人はタイプじゃなかっただけで、人の顔に唾を飛ばさなくて好みの人だったらまんまと家に行ってしまっていたと思う。


私は寮に戻るとすぐに、ティンダーを再インストールした。

マッチングアプリ、海外編スタートです。

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これは、私が夫と出会うまでのただラッキーで大丈夫だっただけでマジで危ないから誰にもおすすめしない旅の記録です。

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